このコーナーは、ドクター房川の独断と偏見によって作られている物です。
 今までに雑誌やタウン誌に載せたコラムや、医療のトピックス、日常の診療のエピソードや趣味の事、世相に対する私見や雑感等を何の脈絡もなく、何の意図もなく載せていきたいと思います。
 あなたにとっては多少たいくつかもしれませんが、ちょっとおもしろいかもしれません。
 私たちのHomepageの付録としてどうぞお楽しみ下さい。


  これはあなたに送る私の汗と涙、愛と笑いの歯科医師人生ドキュメントです。 多少長くはなりますが、どうかひとつお付き合いください。
 
ショックな一言
 私がインプラント治療を診療の一つに取り入れたのはもう20年も前のある出来事がきっかけでした。 当時としては最新の技術と素材を使って、あるご老人の総入れ歯を一生懸命作っていたときでした。 このおじいちゃんはとても熱心な人で、若い私のことをずいぶん買ってくれて、多くの患者さんを紹介してくれていましたので、私としても入れ歯の治療に気合が入っていました。
 そんなある日、入れ歯の調整に四苦八苦している私に、おじいちゃんがポツリと「先生、今は人間がロケットで月にいける時代だよ、こんなに科学が進んでいるのに入れ歯の治療も何かいい方法はないものでしょうかね。」と何気なく言ったのです。 もちろんご本人は悪気があって言ったのではなく、熱心な方だけに純粋にそう思ったのでしょう。 ただそれだけに私にとりましては、この何気ない一言は本当にショックでした。 それ以来本格的にインプラントのことを調べ始めました。 当時でも国産のものも含めて何種類かのインプラントは使われていましたが、文献を読んでもとても学術的に満足のゆくものではありませんでした。 そこでいろいろと情報を集めていますと、アメリカの歯科医の友人が今度のアメリカ歯科医師会(ADA)総会で画期的なインプラントシステムが発表されると教えてくれたのです。 たしか1985年だったと思いますが、これは願ってもないチャンスと言うことでADA総会に参加しました。
 
 
インプラントとの出会い
 そこで見たインプラントはスウェーデンで開発されたチタン製のスクリュータイプのもので、現在では世界各国で広く臨床に応用されて、ブローネマルク・インプラントシステムとして学術的にも高い評価を受けているものです。 その当時で基礎研究や臨床応用されてからすでに15年以上が経過しており、その長期経過観察のデータ−も公表され成功率は98%以上という驚くべき安全性を示しており、その完成度の高さには本当に興奮したものです。 しかし技術的にも経済的にもとても一開業医の手の届くものではありませんでした。 事実、当時日本においてはほんの数箇所の大学病院や総合病院でのみこのシステムが導入されていたに過ぎない状況でした。 帰国してからの数年間は、あの患者さんの一言が頭を離れない一方、なかなかインプラントに踏み切れない自分に悶々とした日々を送っていました。
 
俺もやるぞ!
 そんな時、大阪の友人がこのインプラントシステムを導入し臨床に応用していると連絡してきました。 彼はその有用性を熱く語り、どれほど悩める患者さんの福音になっているかを繰り返し力説しました。 この一言で私は「俺もやる!」と決めました。 さっそくこの術式の認定医の資格をとり本格的な準備に取りかかりましたが、さて第一号の患者さんを誰にしようかと、はたと考え込んでしまいました。 いくら完成度の高い素晴らしいインプラントシステムだと言うことが頭では解っていても、いざ実際に自分の患者さんに応用しようとなると、これは勇気のいることです。 さんざん迷った挙句、下顎臼歯部に入れ歯をしている両親に患者第一号をお願いすることにしました。 親とはありがたいものです、お前がそうまで言うなら一つ実験台にでもなるか、とふたつ返事で了解してくれました。
 
患者第1号
 かくして今から13年前の1988年10月、おそらく北海道内では始めてのブローネマルクインプラントの治療が開始されたわけです。 私がこのインプラントシステムとアメリカではじめて出会ってから3年目のことでした。 あの患者さんの一言にショックを受けてから実に10年の歳月を要したわけです。
 現在両親は80歳になろうとしていますが、何不自由なく好きなものを食べて食生活を楽しんでいます。 そばで見ていますと、あたりまえに不自由なく食べ、噛めると言う食生活そのものが、いかに人生を豊かにするかが実感できます。 私が両親にできた数少ない親孝行の一つであったと今でも自負しています。  
ブローネマルク教授との出会い
 私はその後、1990年にスウェーデンで行われたインプラントに関する国際学会に参加し、このインプラントシステムの考案者であるブローネマルク教授にお会いして、つぶさに本場スウェーデンでの臨床を紹介していただきました。 その際世界中からのインプラントの臨床家と交流を深め、ここ札幌にもインプラントを専門に行える診療所が必要であると確信しました。
インプラントセンター開設
 帰国早々にこの計画に着手しましたが、私はすでに診療所を開業していましたので、とても私一人で出来る事ではありませんでした。 でも神様はまだ私をお見捨てになりませんでした。 すでに大阪でインプラントセンターを開設していた古くからの友人であり師匠でもある川村先生からは、快くそのノーハウを提供していただきました。 また人材捜しに奔走していた頃に参加したある学会で、偶然にパートナーの谷内先生を紹介され、北海道医療大学・歯学部口腔外科で長年にわたり研鑚をつみ教鞭をとってきた彼に私のインプラントにかける思いのたけを話し、すっかり意気投合しあったのです。 その結果、谷内先生には全面的にインプラントに関する外科手術を担当してもらい、私は歯冠修復を担当すると言う体制のもと、おそらく当時北海道では初めてのインプラント専門の歯科診療所として「オッセオインプラント・センター・サッポロ」を立ち上げました。
 
 
インプラントとの啓蒙活動
 その当時一般の人にはインプラントという歯科治療の知名度はほとんどないような時代でしたので、この治療方法の素晴らしさを知って頂くために『インプラント説明会』なる啓蒙活動も始めました。 いざ始めてみると、会場を訪れる人の多さに驚いたのもさることながら、いかに歯を失った人たちの悩みが切実で深刻なものか、いかに入れ歯が不自由で不快なものであるかを相談されるにつけ、我々専門家がもっと情報をオープンにし積極的に悩める人々の訴えに耳を傾ける場を作る必要性を実感しました。 一部には悪質な客寄せ行為だと、誤ったとらえかたもされましたが、メディアは私たちの意図する所を好意的に受け止めてくれ、インプラントの知名度は徐々に浸透していきました。 今でこそ医療業界も情報開示ということが声高に言われ、インプラント治療も当たり前のように健康雑誌や新聞に載っているのを見るにつけ、あの当時不慣れなながらも啓蒙活動にエネルギーを傾注してきたことは意味のあることだったと思っています。
 私たちがもう一つ力を入れてきた事に、ドクターを対象にしたインプラント技術習得の研修会があります。 少人数を対象にしたマンツーマン形式の研修会で、道内はもとより道外からの参加者もあり、インプラント療法が着実に広がる魁となったものでした。
教授と父親の握手
 その後1995年に開催されたスウェーデンでの国際会議には、治療後7年を経過した父親を伴って参加し、ブローネマルク教授に直接お会いして父親が「あなたに一言お礼を申し上げたくて、こうして日本からやってまいりました。」と言うと、「それはよかった、世界中にあなたのような患者さんがたくさん増えるのが私の願いです。何かトラブルがあった時は、直接私に言ってきなさい。」と硬い握手をしながら、茶目っ気たっぷりにめったに人には渡さないと言われている個人のプライベートな名刺を差し出してくれました。 なにはともあれ私にとりましては尊敬する世界的に有名なインプラントのパイオニア−と、私の第一号の患者さんとの出会いで、非常に感慨深い一場面であり、ますますインプラント治療への思いを熱くしました。
新たな出発
 さてインプラントセンター設立後、患者さんが増えるにつれて私たちの予想以上に、インプラントのみの治療にはとどまらず、歯周病・残存歯の歯冠修復・歯内療法・咬合治療など、一般の歯科治療も増えてきました。 一方、房川歯科医院においても年々インプラント適応の患者さんが増加してきて、不本意ながら多くの患者さんに二つの診療所の往来を強いるような事態が頻繁になってきました。
 1997年頃には実に患者さん全体の80%近い方々に不自由を強いる結果となってしまいました。 またそれまで定期的に行っていたスタッフ全員での症例検討会やミーティングもままならなくなり、日常の診療にも支障が出始めてきたため、谷内先生と検討した結果、思い切ってふたつの診療所を統合させようと言うことで、1998年の暮れに多くの方々のご支援を頂きながら房川歯科医院にインプラントに関する設備(手術部門)を移設して「房川歯科クリニック・インプラントセンター」として新たな出発をして現在に至っており、現在8名のスタッフで一日20名程度の患者さんの診療にあたっています。
  私たちは1988年に最初のインプラント治療をはじめて以来、2001年5月現在までの13年間で、約400名近くの患者さんの450症例以上に合計2000本以上におよぶインプラントを応用し、現在その詳細につきましたは分析中ですが、当初私たちが想像していた以上の良好な臨床成績を得られています。  
そして感謝
 長々と書き綴ってきましたが、私は今までこの仕事を通して多くの人と出会い、有形無形に多くの支えと力を頂きました。 これは何物にも換えがたい私の財産で、本当に感謝の言葉もありません。 そして最後に、両親・家族・スタッフはもとより、何よりも私を先生と呼んでくれ、私に多くを教えてくれ、私に勇気と力を与えてくれる私の先生でもある患者さんのあなたに、心より感謝を申し上げます。

   求めよ、されば与えられん
      与えよ、されば報われん
         報えよ、されば救われん
            救えよ、されば求められん

2001.7  合掌